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先日、義祖父が亡くなりました
悲しみよりなにより、いろいろと疲れます
通夜、告別式、初七日の法要(七日法事)、札打ち、逮夜・・・仏教では、死者は7日ごとに生前の所業を裁かれ、49日目に判決を受けます
これにより次に生まれ変わる場所が決まります
その初めての裁判の日が
初七日七日ごとの裁判での心証を良くするために、その前日ごとに行うのが
逮夜米子では七日ごとにお寺などの札所にお札を貼って廻る習慣が残っています
これが
札打ち参列者の時間軽減や、坊さんの都合で
決められた日にちをずらしてまで行うことに意味があるのでしょうか?
釈迦の教えで
「臨機応変にやったらいいよ!」 というのがあるのでしょうか?
不思議です。。。
僕は敬虔な仏教徒ではないので
葬儀などに出ると毎回
もっと形式にとらわれない送り方はできないものかと
いつも思ってしまいます
クリスチャンの親戚が葬儀に出てたので
キリスト教の葬儀についていろいろ聞いてみたかったな
こんど、これ読んでみようかな
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無題 - スペード
オレは正直、自分の死に関して考えると耐え難い苦痛なんです。
じいさん死んだとき、遺影をオレの好きな笑顔の写真にしようとしたら、親戚のばばあに拒否られた。
未だに悔しい。
いまの形式には、疑問しか残らん!
まぁ、落ち着いたらゆっくり二人で温泉でもいきな!
Re:無題 - 管理者からの返答
あーせないけん、こーせないけんと五月蠅いおばさんってどこにでもいるんだね。
形より気持ちで送ってあげるのが一番だと思うんだけど。